映画「タクシードライバー」の映像表現の研究 1
1976年公開された『タクシードライバー』の映像表現を研究しています。『タクシードライバー』は、1976年公開のアメリカ映画です。監督はマーティン・スコセッシ。脚本はポール・シュレイダー。主演はロバート・デ・ニーロ。
この映画の脚本家ポール・シュレイダーは、アラバマ州知事暗殺未遂を行ったアーサー・ブレマーが描いた日記「暗殺者の日記」に感銘を受けて、脚本を書き上げたといいます。
ブレマーの日記に描かれていたものは壮絶な孤独でした。大統領暗殺実行までの3ヶ月間は自動車の中で暮らし誰とも話していなかったようです。
「タクシーは孤独のメタファーだ。走る密室だ。」とシュレイダーは語っています。この映画の肝となるものは、孤独感。この孤独感をスコセッシ監督はどのように表現しているのでしょうか。
『タクシードライバー』を読み解く上で、ベトナム戦争の帰還兵や70年代のアメリカ、アメリカンニューシネマなど、語る上でいろいろと切り口があります。この切り口では、先人が評論を行い、研究し論文として発表されたものが残っています。
今回、この辺りにはあまり触れません。過去の制作者たちのインタビューと、カメラワークやエキストラやフレームされているモノを細かく確認することで、スコセッシ監督の演出術を読み解いていきます。文献に基づいての考察もあれば、個人的な見解に基づく考察・妄想も含まれています。
タクシードライバーの基本原則
まず『タクシードライバー』の撮影で決められている基本原則を紹介いたします。
・トラヴィスがタクシーを運転している時だろうが、誰かが彼に話しかけている時だろうと、トラヴィスを撮るときはトラヴィスだけをフレームに入れる。
・トラヴィス以外の人物に切り返す時は必ずトラヴィスの肩越しショットにする。
この原則で可能な限り撮影されています。他の人はトラヴィスを視界に捉えているが、トラヴィス自身は独りに見えるようにする為です。この原則があることで、テーマである孤独を強調しています。
映画の空間演出
また、一点抑えておきたい映画の空間演出があります。
映画は左から右に流れて進んで行くのが原則となっています。左から右への移動は、英語を読む方向と同じで、目で追いやすいそうです。そうすることで、ポジティブな印象を観客に与えることができます。その為、主人公は→方向になると言われています。
逆に、右から左への移動は、目で追うことに慣れていない為、不快感や違和感を観客に与えることができます。主人公が困難に立ち向かうときなど、←方向に進みます。
ただし、私たち日本人は、縦書きの日本語や漫画が右から左に流れています。この方向に慣れ親しんでいる為、上記の印象は受け辛いと思います。また日本で制作される特撮ヒーローなどでは、ヒーローの立ち位置は←方向になっています。
映像にに写っている人物やオブジェクトは、制作者が何かしらの意図を込めて動かされているということです。
その他の映像の原則については、一冊の書籍になるほどの内容になりますので、ここではこれぐらいにしておきます。興味がありましたら、書籍を読むと映画の観方が変わるので面白いと思います。
次回からシーケンス毎に考察していきます。